「ここまで来たら負けんじゃねぇぞ!」

 「僕は運がよかった。そういうタイミングで乗れたんですから。」
“何故JDDを勝つことができたのでしょう”という、私のぶしつけな質問に、仲野光馬騎手は、とても柔らかい口調で答えてくださいました。 「もともとキャッスルトップと言う馬に重賞を勝たせることに、僕のジョッキ-人生をかけていました。それがこんなに大きいレースになったのは 想定外でしたが。でも、そのくらいの責任感を持ってやってきました。」

 子供の頃、東京競馬場で武豊騎手が初めて勝ったダービー(1998年スペシャルウィーク)を観戦して、 「その時の豊さんのガッツポーズのカッコよさに憧れて、騎手を目指しました。」しかし道は厳しく、一度は騎手になる事を断念、 他の仕事に就いたそうです。それでも夢をあきらめきれず、調教専門厩務員として船橋・川島正行厩舎でキャリアをスタートさせたのは20歳の時。 4年間、厩舎での仕事に励んだ後、騎手試験に合格、騎手としては遅咲きの24歳のデビューでした。



写真:2021年ジャパンダートダービー



  2010年JDDを逃げ勝ったマグニフィカの調教に乗っていたのは、厩務員時代の仲野騎手でした。 順調ではなかったキャリア、それゆえに知ることができた名馬の背中。その経験を経て辿り着いた大舞台で考えていたことは、 自分がダービージョッキーになる事ではなく「キャッスルトップを勝たせること」でした。 「最後ゴール前で迫ってくるゴッドセレクションの中井騎手が、すごい大きな声をあげたのが聞こえたんですよ。 中井騎手も初重賞がかかっていたので、期するものがあったでしょうね。思わず自分も『ここまで来たら負けんじゃねぇぞ!』 とキャッスルトップに叫んでいました。」

 穏やかな印象の仲野騎手からは想像できないような、気迫あふれる強い言葉。この後に仲野騎手は「ダービージョッキー」となりました。 「“ダービージョッキー”と言われると、気持ちが引き締まりますね。調子に乗れないです(笑)」



写真:2021年ジャパンダートダービー(JpnⅠ) 仲野 光馬騎手








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Writer

フリーアナウンサー 原山 実子

競馬関係、通販番組などでお仕事をさせていただいている、フリーのアナウンサーです。最近まで、リリアン原山でした。

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