2023.3.8

船橋ジョッキーズレポート
vol.6

スペシャルコンテンツ

細江
続いては、なぜジョッキーになったのかというお話を聞かせてください。
川島騎手
父が調教師として船橋競馬場で開業していたので、競馬場の中で生まれ育ったんですよ。物心がついた時から周りには馬が常に居ましたし、家のテレビもずっと競馬が流れていた環境でした。
川島厩舎の馬に石崎(隆之)さんが乗って勝ちまくる姿を見て“かっこいいな”って憧れて、自然と志すようになりましたね。
それで小さい頃、親父にジョッキーになりたいって言ったらすごく喜んでくれて。
細江
なるほど。
ちなみに初めて馬に跨った記憶は残っていますか。
川島騎手
川島厩舎の馬に父が乗って、その前に僕が乗ったのが最初だったかと思います。
細江
可愛い。それは何歳くらいの時ですか?
川島騎手
幼稚園ぐらいの時じゃないかな。
細江
お父様が乗って、その前にちょこんと乗ったわけですね。
本格的に乗馬したのは?
川島騎手
小学5年生の頃から、中山競馬場の下総乗馬スポーツ少年団に入りました。
細江
競馬学校は最初にどこを受けたんですか?
川島騎手
JRAの競馬学校を受けたんですけど、僕は体がすごく重かったので、絞って絞ってギリギリの状態で受験したんです。でもJRAの教官はそんな事は見抜いてますから、面接の段階で“これ落ちたな”っていう感じだったので、切りかえて地方競馬の競馬学校を受けました。
細江
続いて、高橋騎手。生まれはどちらですか?
高橋騎手
東京の八王子です。
北島三郎さんのご自宅の近くに住んでました。
細江
豪邸がありますもんね。幼少期は何をなさってたの?
高橋騎手
小学校の時は少年野球をやって、中学校では陸上部です。
細江
やっぱり運動神経が凄いんでしょうね。
高橋騎手
そうでも無いですよ。
川島騎手
ジョッキーを目指すきっかけは?
高橋騎手
目指したのは中学2年生くらい。体が小さかったから。
親父が競馬を観るのが大好きで東京競馬場へ足を運んだときに憧れたんですよね。
かっこいいなって。みんなも言いますけど僕もそうでしたね。
細江
それまでは特に興味はなかったんですか?
高橋騎手
全然興味はなかったですね。
細江
高校へ進学せず競馬の世界へ入ることに躊躇はありませんでしたか?
高橋騎手
なかったですね。僕は一度決めたら最後までやり遂げたい性格なんですよ。
細江
中学生の時に、どうしたらジョッキーになれるかを考えたんですね。
高橋騎手
自宅近くに八王子乗馬倶楽部があって、そこでお世話になりました。
そこのオーナーと川島先生に繋がりがあったので、紹介してもらって行くことになったんです。
細江
競馬の世界って特殊な環境だと思うんですけど、カルチャーショック的なものはありませんでしたか?
高橋騎手
全然無かったですね。
細江
楽しかった?
高橋騎手
楽しかったですね。厩務員さん達も優しくて和気あいあいとやってましたね。
細江
競馬学校の思い出を挙げるとしたら?
川島騎手
僕はホームシックになった事と、体重がギリギリで。競馬学校在学中はご飯も食べられなかったし、水も飲めなかったですね。
細江
入学当初の身長と体重は?
川島騎手
今と変わらない位だったんですけど、身長が160㎝位で体重は受験前の50㎏位から7㎏近く減量して受験しました。
細江
うわあ。そこから過酷な訓練があるのに。
川島騎手
そうですね。だから体重が本当にギリギリな状態でした。
細江
体重がなかなか落ちづらくなると本当に寝れなくなるし、イライラするしキツかったでしょう?
川島騎手
減量は苦しかったですね。
細江
どこから落ち着きました?
川島騎手
ジョッキーになってからですね。今は全く我慢することなく好きな物が食べられます。
細江
余計に抑圧されるより、逆に自由な方が良いくらいですよね。
川島騎手
そうですね。
細江
高橋騎手はどうでした、学校は?
また飄々と何も無かったですとか言いそうで怖いんですけど(笑)
高橋騎手
体重ですか?
細江
いやいや違う違う。面白い人なんだから(笑)
川島騎手
競馬学校の思い出!
細江
通訳が必要(笑)
高橋騎手
学校の思い出ですか…。体重の話にしますか。
川島騎手
体重は今も軽いですよね。
高橋騎手
そうですね。センターにいた頃は何も不安なくひたすら食べてましたね。
細江
足細いですもんね。
川島騎手
実習中に川島正行厩舎の家に(高橋騎手が)ご飯を食べに来るじゃないですか。
野菜サラダとかドレッシングとかかけないで生で食べるんですよね。
高橋騎手
うん。
細江
よく見てるな~
高橋騎手
素材が活きるから生が好きですよね。
細江
下ネタかと思った(笑)
高橋騎手
それを待ってたんですよ!
いつ下ネタが出るのかと(笑)
次へ

PAGE 2/5