2023.6.21

船橋ジョッキーズレポート
vol.11

スペシャルコンテンツ

細江
自分が調教して仕上げた馬がレースで走ったりするんだもんね。学びながら得ることってありました?
石崎騎手
そうですね。厩務員さんに脚元のことだったり、バランスだったり、正しい事を教えてもらいました。だから得るものが多かった分だけ楽しかったです。
細江
厩務員さんといえば、ジョッキーの皆さんが船橋の厩務員さんは技術がすごいってよく言われるんです。中央から船橋へ移籍した馬が見違えるように変わって交流重賞を勝ったり。
石崎騎手
船橋は厩務員さんの力が大きいと思います。
細江
そんな高い技術を持った厩務員さんから色々吸収できたんですね。
でもあくまでジョッキーを目指しながらっていうことなんですか?
石崎騎手
そうですね、一発試験が受けられる年齢になるまで、とりあえず働いてっていう感じで。
細江
いつ頃?
石崎騎手
2年間やって17歳の年に受かりました。
細江
なるほどね。
實川騎手は幼馴染としてデビューまでの石崎騎手をどう見てましたか?
實川騎手
最初から技術はあったし、競馬に対する姿勢とか参考になるところが沢山ありましたね。
細江
続いては、デビューから現在を振り返っていただきます。
ここまでの騎手人生を振り返って笠野騎手はどうですか?
笠野騎手
悲惨でしたよ。
細江
ちょっと待って(笑)どう言ったらいいんでしょう、みなさんフォローしてください。
石崎騎手
悲惨でしたね(笑)
細江
ちょっと~
では順を追って…。まず2007年に免許取得されましたよね?
笠野騎手
はい。
細江
初騎乗まで1ヶ月空いてるんですね。
笠野騎手
でも船橋はそういう流れは多いですよ。
ちょうど帰って来て、次の週が船橋だったりすると申し込みの関係とかもあって。
石崎騎手
間に合わないんですよね。
細江
なるほど。
笠野騎手
1ヶ月位乗ってからの方がいいみたいなこともあるので、5月デビューは多いですよ。
細江
中央とはちょっと違うんですね、その辺りは。
石崎騎手
地元デビューが普通で。5月のゴールデンウイークが船橋なのでそこでデビューという流れになるんです。
細江
そうか。で、悲惨でしたっていうのは?
笠野騎手
まぁカスでした、カス!
駿さんとか先生に、ずっと教えてもらいながらって感じでしたね。
細江
7月に18戦目で初勝利っていうことでしたけど。
笠野騎手
それは本当に嬉しかったですね、初勝利できたのが。
細江
なかなか乗鞍の確保っていうのもね。
笠野騎手
そうですね、数も全然乗ってなかったですし、なかなか思うようにはいかないな、厳しい世界だなって感じてましたし、もっとうまくならなきゃなっていう事がずっと頭にありますね。
細江
船橋のジョッキーはよく行かれているようですけど、デビューした後、高知に行かれたんですよね?
笠野騎手
行きました。
あの時、誰か高知へ行ってくれみたいな感じで純ちゃんが行ってて。
細江
同じ厩舎でしたもんね。
笠野騎手
僕もその時、乗り鞍を増やしたかったから、最初は金沢行こうとしたんですけど、勝ち鞍が足らなくてダメだって言われて、それで高知へ行ったんですよね。
細江
高知はいかがでしたか?
笠野騎手
地獄でした。
細江
えぇーー。(實川騎手に)そうでした??
實川騎手
地獄でしたね。
笠野騎手
教養センターの方が楽!
細江
どのあたりが?
笠野騎手
とにかく仕事量が…。
實川騎手
半端ないです。
細江
朝起きてから馬に乗って、手入れして…。
笠野騎手
そうですね、厩務員兼乗り役だったんで。
細江
準備して、乗って、手入れしての繰り返しだ…。
笠野騎手
厩務員さんと同じことやって、あとはレース乗るか曳っ張るかの違いだったんです。
細江
すごい…。
笠野騎手
休みないし、俺だけ!
石崎騎手
人手が足らなくて、人が欲しいから受け入れてますって感じ。
細江
そうか…“育てるから受け入れます”ではないんだ!?
笠野騎手
当時、経営が大変な状況だったから。
石崎騎手
育ててくれるんですけど人手不足が1番の理由。
實川騎手
乗り役も厩務員も足らない時代でした。
細江
かなり昔ですけど、私が取材へ行った時に馬の球節(脚部)が、極端に表現するとハンドボールのようなサイズの馬が走っていて驚きました。
笠野騎手
危ない馬はいっぱいいましたよ。
細江
それでは、石崎騎手。ここまでを振り返っていかがですか?
石崎騎手
デビュー当時も減量に苦しんでましたね。
細江
常に減量との戦いですね…。
石崎騎手
デビューの日は、もう馬に乗っているのもやっとの状態でした。そんな状態だったから次の日の朝、先生にめちゃくちゃ叱られました。
細江
“何してんだ!”って?
石崎騎手
“この2年何やってたんだ”って。
最終日を迎える頃には、体重が落ち着いてまともに乗れる感じになったんですけど、まぁデビュー週は酷かったですね。
細江
レースとの戦いじゃなくて減量との戦い?
石崎騎手
そうですね。そこからはもうとにかく何でも乗って、いかに減量するかって。
細江
かっこいい。ある意味、新人離れした発言。
その後、初勝利を挙げて100勝を達成して、さらにはNARグランプリ(優秀新人騎手賞)も。
石崎騎手
はい。その頃にはどうやったらうまく乗れるかって結構頭の中でシフトチェンジしてました。
細江
パパである石崎さん(石崎隆之元騎手)の息子がデビューっていうことで、注目度も高かったと思います。色んな意味で世間の目だったり注目だったり期待っていうのはご自身ではどう感じてました?
石崎騎手
あまり気にするタイプではないです。
もちろん親父の活躍は知ってましたし、その活躍ぶりが新聞に出た時は“スゲー、新聞に載るんだ”って。
それとデビューしてから、結構いい馬に乗せてもらえてたからラッキーでした。
細江
デビューから4年後にはマイルグランプリで重賞初勝利を挙げました。
石崎騎手
その時、親父が怪我をしていて、調教を頼まれて乗り始めたのが最初だったんです。
以前からたまに乗れない日は手伝いで乗ったりしていましたけどね。
細江
これまで沢山の馬と接してきたと思いますけど、注意している点などあれば。
石崎騎手
いい馬はバランスが崩れないように気をつけています。
自分の中では左右きっちり5:5って比率ではないと思っているんです。
均等だと馬も走りづらいので、少しズレるくらいがちょうどいいかなと思ってます。
細江
四肢の動物だから結局そうですよね。
石崎騎手
両方揃って脚を出す訳じゃないから、でも横の動きにはとても弱いのでその辺のバランスを考えながら、その馬の強い方に自分の体も合わせてあげるように乗るイメージです。
そういう馬の走り方を1頭ずつ、こういうタイプの馬はこういう風に乗った方がいいのかとかをずっと考えてます。
細江
素敵すぎる。確かトーシンブリザードも調教されていたんですよね?
石崎騎手
そうですね。トーシンは最初来た時に馴致が出来ていなくて、当時はそれほど期待されていませんでした。
まだ僕が騎手になる前なんですけど、まずは馴致からって感じで。
でも、最初の頃は背中に毛布を乗っけたら飛び跳ねてどっか行ってましたけどね(笑)
細江
凄い。馴致からとは…。
細江
入って来たのは何歳?
石崎騎手
2歳の春過ぎだった気がします。
細江
そこから?
石崎騎手
運動場で20分くらい、騎乗者が腹ばいの状態で乗って、背中に人が乗ることを覚えさせることをやってからのスタートだったんで、大変だなって思いましたね。
細江
その馬があれだけの活躍を成し遂げて、三冠やJDDを制したんだ~
ずーっと調教していたんですか?
石崎騎手
全日本(全日本3歳優駿)の時から親父に取られちゃいました(笑)
細江
やだ~(笑)
お父さんって寡黙なイメージですけど、馬乗りについてなど教えてくれるんですか?
石崎騎手
馬のことは、あまり教わったことがないですね。いつも“綺麗に乗れ”としか言われなかったですね。
細江
でも共通の馬がいた時に、騎乗した時に馬を通して違いを感じたりするんですか?
石崎騎手
あまり好きじゃないなと思ったんで。
細江
好きじゃない!?
石崎騎手
親父は型にはめ込むタイプなので自分とは違うかなって。
細江
石崎騎手は馬に合わせていくような、その馬の良さを引き出すタイプということ?
石崎騎手
そうですね。でも確実に型にはめ込んでいって馬がどんどん成長して良くなることもあるから、その辺はすごいなって思います。
細江
なるほど…。
實川騎手はいかがですか?デビューから今までを振り返って。
實川騎手
今まで、何て言ったらいいんだろうな……パッとしないっていうか。
細江
そんな、ご自身で(笑)
朝早くて調教に何頭も乗って、何とか一鞍でも多く騎乗に繋げたいって思いで、ジョッキーは頑張っていると思うんです。
開催丸々乗れない時期とかもある中で免許だけは持ってる、私もそうでしたけど、ちょっと辛くなるような時はなかったですか?
實川騎手
そうですね、最初に所属していた出川(龍一)先生の厩舎を辞めた時、乗り役を辞めようかと思ったんです。
でも、佐々木(功)先生の厩舎に移ってから、ちょくちょく乗せてもらえて。
数年後に親父が亡くなって、そこからまた頑張ろうって決心しました。
今は一緒に暮らしているんですけど、お袋も1人だし。
細江
あとワンちゃんも一緒ですしね。
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