2023.6.21
船橋ジョッキーズレポート
vol.11
スペシャルコンテンツ
- 細江
-
おかしすぎる(笑) 続いて實川騎手から笠野騎手の紹介をお願いします。
- 實川騎手
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常に明るいし、話しやすい。競馬に一生懸命で、先輩後輩に関係なく物事を頼みやすいです。みんなに愛されてる。
- 細江
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Twitterを拝見すると、船橋競馬の広報的な役割もなさってるんだなって。
- 實川騎手
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そうですね、役員とかも頑張ってるんで。何事もしっかりとやってる感じです。
- 笠野騎手
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ありがとうございます!
- 細江
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他己紹介はここまでということで、まずは騎手になりたいと思ったきっかけを教えてください。
初めに笠野騎手よろしくお願いします。
- 笠野騎手
-
出身は東京だったんですけど、幼稚園くらいから船橋に引っ越してきました。
ほとんど船橋での生活しか記憶ないですね。
- 細江
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ご両親は?
- 笠野騎手
-
普通の仕事をしてます。
- 細江
-
船橋に来てから競馬場に来たり、競馬を見たりするようになったんですか?
- 笠野騎手
-
そうですね。父親が競馬好きだったのでよく中山競馬場へ行ってました。
それからですね。
- 細江
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騎手になろうと思ったのはいつ頃?
- 笠野騎手
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小学校4、5年生位からです。
その後、中学3年生の時に乗馬センターに行きました。中央を受けた時に。
- 細江
-
中山に?
- 笠野騎手
-
はい。紹介してもらってそこから3年だけ行きました。
- 細江
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1回高校行って?
- 笠野騎手
-
高校は中退になりましたね、教養センター受かったんで。
辞めて教養センター行って。
- 細江
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お父様が競馬好きだということだと応援してもらった感じ?
- 笠野騎手
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そうですね、特に反対はされてないですね。
- 細江
-
なるほど。
石崎騎手は、物心つく前から近くに馬がいる環境ですものね。
- 石崎騎手
-
そうですね。でも実際に馬乗りを始めたのは小学校2年生くらい。
その時に騎手っていうものを目指していました。
- 細江
-
それはお父様の活躍を見てカッコイイなって思ったからですか?
それとも馬が好きになったから?
- 石崎騎手
-
最初は、競馬を見て乗ってみたいなって言う想いからです。
それから競馬とか知るようになって高学年位の時に豊さん(武豊騎手)に憧れて。
一度、豊さんが船橋に来た時にステッキを頂いたんです。
- 細江
-
豊さんに??それは小学生の頃?
- 石崎騎手
-
中学2年生くらいだったと思います。その前に小学生の時にワールドスーパージョッキーズシリーズ(現ワールドオールスタージョッキーズ)でお会いさせて頂いて、それからずっと憧れていましたね。
中山へ行ってターフィーショップでメジロマックイーンのビデオとか買ってきて結構ずっと繰り返し見てました。
- 細江
-
そうなんだ~。もともと競馬場の中に住んでいたわけじゃないから、馬に触ったり跨ったのは小学校2年生位からってことですか?
- 石崎騎手
-
そうですね。そこからずっと楽しくて続けてましたね。
- 細江
-
中央競馬も地方競馬も海外競馬も観ながら、子供の頃からずっとジョッキーを目指したんだ?
- 石崎騎手
-
他の選択肢っていうのは無かったですね。
- 細江
-
どこまで聞いていいのか分かりませんけど、そこまで時間を費やして、JRAに受かったわけでしょ?
- 石崎騎手
-
はい。
- 細江
-
途中で辞めざるを得なかった理由…よっぽどのことがあったのかなと思って。
- 石崎騎手
-
中学2年か3年位の時に、試験受ける前の段階で“ちょっと無理かもしれない”っていう思いも多少はあったんです。その時から体重が重かったので。
- 細江
-
体重だったんだ…。
- 石崎騎手
-
中学3年になった時には50キロ近かったんで。
- 細江
-
えぇ!?だって規定は43キロ位でしょ?
- 石崎騎手
-
そうです。でも試験を受ける時で41キロ位まで落としたのでもうフラフラでした。
2回救急車で運ばれていて。
- 細江
-
中学生の時に?
- 石崎騎手
-
そうですね。
- 細江
-
食べてなくて脱水症状?
- 石崎騎手
-
そのまま倒れちゃって。だから入学した時は“3年続くのかな”っていう不安の方が大きかったですね。
- 細江
-
そうすると臓器もやられちゃうもんね。
- 石崎騎手
-
まぁ時間の問題でしたね。
- 細江
-
そうかぁ…。では、続いて實川騎手お願いします。
- 實川騎手
-
物心ついた頃から、身近に馬がいたので。
- 細江
-
厩舎の中に住まれていた?
- 實川騎手
-
そうです。小さい頃に馬の運動とか乗せてもらって。
- 細江
-
すごい。
- 實川騎手
-
当時、そこまではって感じだったんですけど。
- 細江
-
今では考えられないですけど、昔は子供がちょこんと座って一緒に2人乗りして運動とかしてた時代があったわけですもんね。
- 實川騎手
-
小学校の頃は、別に騎手になろうとは思ってなかったんです。
真剣にレースを見るようになったのは中学に入ってからで、親父(實川福一厩務員)の馬のレースを見たりしている流れで騎手に憧れていったという感じです。
そして、中学2年生の半ば位から中山へ行きだして。
- 細江
-
乗馬センターに?
- 實川騎手
-
そうですね。それで試験を受けたんですけど、1回目は『視力』が悪くて受からなくて。
- 細江
-
目?
- 實川騎手
-
受けた時0.4しかなくて。
- 細江
-
規定は?
- 石崎騎手
-
0.6以上です。
- 實川騎手
-
受けた後に出川先生(出川龍一元調教師)に聞いたら“視力が足らなくて落ちた”って。
それで“高校へ行け”って言われたんですけど、結局そのまま船橋でみんなの手伝いをしながら半年待ってそしたら受かったんです。。
- 細江
-
レーシックしたっていうことですか?
- 實川騎手
-
レーシックはしてないですね。
- 細江
-
どうやって視力を回復させたの?
- 實川騎手
-
船橋に視力回復の病院があって。
- 細江
-
えー!?
- 實川騎手
-
目のマッサージみたいな、頭から被る機械を使って。
- 細江
-
それは知らなかった…。
- 實川騎手
-
指圧というか空気を使う機械があって。ずっと通ってました。
- 細江
-
それで良くなったんですか?
- 實川騎手
-
試験前で1.0位まで上がりました。
- 笠野騎手
-
すごく回復してるじゃん!
- 石崎騎手
-
視力って戻るよね。
- 細江
-
えぇ!?動物的な発想(笑)
- 實川騎手
-
普段から目に良いブルーベリーとか食べて、それと病院行き続けて回復したんです。
- 細江
-
刺激を与えたんだ…。
- 實川騎手
-
そうです。試験前に病院で測った時も試験の時も1.0位あったから、受かったって感じです。
- 細江
-
なるほどね~。
振り返ると、お2人は競馬学校は行ってるけど、石崎騎手は教養センターに行ってないってことですもんね。
- 石崎騎手
-
行ってないですね。
- 笠野騎手
-
駿さんは一発?
- 石崎騎手
-
一発。
- 細江
-
そこからの道のりなんだね。
それでは、競馬学校時代の思い出を教えていただけますか?
- 笠野騎手
-
僕は減量ばっかりしていた記憶しかないです。
他はそんなに苦でもなかったですね、厩舎作業とか色々やるんですけど。
中山でやっていたこととそんなに変わらなかったから…。
ただ、体重はしんどかったなぁって。
- 細江
-
減量も大変ですけど、お腹空くと寝れなくなったりしますしね。
- 笠野騎手
-
そうですね、とにかく減量はきつかったなぁって思い出します。
- 細江
-
あっ、そうだ、学校と言えば、他のみんなに聞いて知ったことがあって、朝の音楽は?
- 笠野騎手
-
あぁ、起きるときの?
- 細江
-
その音楽を本当に嫌いになるって(笑)
- 笠野騎手
-
わかる(笑)
目覚まし代わりが何かしらの音楽なんですよね。誰かが選んだ曲が毎日流れてイヤイヤ起こされるみたいな。
- 細江
-
だから良い曲でも、好きになれないってね(笑)
- 笠野騎手
-
それはあるかも知れないですね。
アップテンポな曲は勘弁して欲しかったです(笑)
- 細江
-
朝からアップテンポの音楽を選曲する方もいたんだ?(笑)
- 笠野騎手
-
そんな先輩がいたんですよ、“マジか!?”って。
- 細江
-
それ1週間とか続くの?
- 笠野騎手
-
いや、何ヶ月も続きますよ!
- 細江
-
『会いたくて 会いたくて』が嫌だったって言ってるジョッキーもいましたよ。
ただでさえホームシックなのに朝一番から西野カナさんの『会いたくて 会いたくて』は勘弁してって(笑)
で、實川騎手はいかがでした?
- 實川騎手
-
学校時代はそれなりに大変でしたけど、それほどでは。
- 細江
-
同期は何人いらっしゃいました?
- 實川騎手
-
同期は11人です。
- 細江
-
多いですね。なんか淡々と過ごしてそうですね。
- 實川騎手
-
そうですね、そんな感じで過ごしてました。
- 細江
-
石崎騎手は、減量の事もあって競馬学校を辞めた時、どういう風に考えました?
- 石崎騎手
-
その時はすぐ厩舎で働くことに決めましたよ。
試験受ける時、体重を落とすために佐藤賢二先生(故・佐藤賢二調教師)が手伝ってくれていて、
受かったけど、すぐ帰ってきたのでその時に佐藤先生が“じゃあウチでやるか?”って。
即決だったので、4月に入学して5月か6月位からもう厩舎で働いてましたね。
- 細江
-
その間は体を整えて?
- 石崎騎手
-
本格的には厩務員の認定がおりてから働き始めました。
それから1、2ヶ月位経った時、いつも先生が自ら調教に乗っていたんですけど、落馬して骨盤を骨折しちゃって、それで急遽乗ることになって。
それからは20頭以上は乗ってましたね。
- 細江
-
20頭以上とは、すごい。
- 石崎騎手
-
そこから2年間で3日しか休ませてもらえなかったですね。
- 細江
-
え!?2年間で3日?
- 石崎騎手
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1頭持ちして25頭位。
- 細江
-
そうすると開始は?
- 石崎騎手
-
1時40分からずっとで終わるのは10時位。
- 細江
-
一息つけても午後からは手入れもあるし。
- 石崎騎手
-
そうですね、担当馬もいたんで。
- 細江
-
すごい過酷。今振り返ってどうですか?
- 石崎騎手
-
でもそんなに過酷だとは思ってなかったですね。楽しさの方が大きかったですね。
- 細江
-
小さい頃から乗ってるし、元々乗りこなせちゃう技術があるんでしょうね。
- 石崎騎手
-
中山の時に、引退してすぐの競走馬を乗馬にならしていく作業とかも全部やらせてもらえたので大丈夫でしたね。