取材ができたのは船橋競馬場だけでした

― マキバオーでワクワクするシーンの1つが、競馬場の描写でした。見慣れた景色が漫画に描かれていると、とても嬉しい気持ちになったことを覚えています。
競馬場の設備などの描写がすごく細かいと思いましたが、何度も取材をされたのでしょうか。


「それが、大変だったんです。『みどりのマキバオー』の前にギャグ漫画を描いていたので、マキバオーを始めるにあたってJRAに取材申請なんてできなくて。
『こんな漫画描いてたやつが何を描くんだ』となったら怖いので、中央は1回も取材行ってないですよ。牧場も行ってないし、美浦も栗東も行かないで描いてたんです。
競馬場で一般の客としてみられるところしか行ってないですし。
テレビ中継や雑誌で観られる場所があるじゃないですか。それを寄せ集めてここはこう繋がって…と。
最近のテレビ中継はカメラが多くていろんな面を見せてくれるんですけど
昔の中継はスタンド側からしか撮ってないんですよ。
僕は画角的には、向こう正面を走っている時はスタンドをバックに見たいんですけど、そういう映像があまりなくて。自分の中で画像をひっくり返して『こうしたらこう見えるのかな』みたいにイメージして描いていました。」

取材に行かないで競馬場を描いていたとは、初めて知る驚きの事実でした。
続けて、つの丸先生はバッグから厚みのある紙製のケースを取り出して「今日は面白いものを持ってきたんですよ」と仰いました。
ケースの中に入っていたのは分厚い写真の束。
写真1枚1枚に、何度も手に取られたような跡があります。


「船橋を一生懸命描いたのには理由があって、当時、他は取材が全然できなかったのですが、担当の編集が何かのつてを見つけてきて、船橋だけ取材させてくれたんですよ。『パトロールタワーに上っていいよ』と、カメラマンを上がらせてくれました。なかなかこんなことさせてもらえないじゃないですか。こういう事もあって、船橋はめちゃくちゃ描きやすかったし、描きたかったんです。
これを考えると、全部の舞台が船橋競馬場だったら、全部資料あるし楽だったなと思います(笑)」

モノクロのキャビネサイズの写真には、今は懐かしいジョッキーが跨った調教中の馬たちや、コース、調教を見るスタンド、厩舎地区、洗い場…遠くに見えるザウスや、ダイエー、ららぽーとのビル…
当時の船橋を知る人たちにとって、本当に懐かしい景色が写し撮られていました。

写真:船橋競馬取材写真(1994年末ごろ)

「30年近く前。連載前か、始まってすぐの当時かな。94年末くらいの写真です。
きっかけはたまたまでしたが、取材させてもらえるとなって、本当に嬉しかったです。最初は不安しかなかったんです。
『どこにも取材行けないまま、本格的にレースが始まったらどうしよう』って思いながら描いていたので。
こういう写真を見ていると、イメージしやすいじゃないですか。
当時は、中央の競馬場も牧場も行ったことが無いし、トレセンも行ったことなかったんですが、この時、船橋で調教も見ているし馬も近くで見ているし、普段こうやって世話して、こういう風に暮らしているんだっていう…見ると実感がわくのでキャラクターも作りやすいし。もしかしたら、アマゾンが1番、血が通ったキャラになっていたのかもしれません」

唯一取材した競馬場が船橋競馬。マキバオーの作品作りに、船橋競馬場がとても貢献していたことを知り、私も驚いたのと同時に、サトミアマゾンの人気の高さは船橋の描写の奥行によるものなのかもしれない、とも思いました。
意外なお話がどんどん飛び出してくる、つの丸先生のインタビューは(2)へと続きます。

写真:船橋競馬取材写真(1994年末ごろ)

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Writer

フリーアナウンサー 原山 実子

競馬関係、通販番組などでお仕事をさせていただいている、フリーのアナウンサーです。最近まで、リリアン原山でした。