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東京大賞典連覇から充実の5歳へ。

及川:さて、ミツオーは秋まで休養して3戦を消化。そして再び東京大賞典へ。アッパレでした。

正一師:ヒロ君(内田博幸騎手)の好判断でハナを奪うと、そのまま逃げ切ってくれました。 史上初の東京大賞典連覇ですよ。親父のはしゃぎっぷりが分かるでしょう(笑)

写真:アジュディミツオー 2005年 第51回 東京大賞典 連覇 出典:netkeiba

及川:そして、翌年は充実の5歳。勝ちまくりましたね!

正一師:先ず川崎記念を逃げ切り、統一GIを連勝。続くフェブラリーステークスは敗れましたが、マイルグランプリ、かしわ記念を完勝。いよいよ帝王賞です。

帝王賞の激闘。カネヒキリとの一騎打ち。

及川:帝王賞までの数日間は今振り返ると、何かいつもと違う雰囲気。モノレールを降りて大井の競馬場に向かって歩いていると、私の横を見ず知らずの青年がアジュディミツオーの名を連呼しながら通り過ぎて行ったり、私自身の頭の中ではアジュディミツオー逃げ切りのシーンが何度も浮かんだりしました。

そして、その実際のレースでは、カネヒキリとの完全な一騎打ち。実況した私も本当に力が入りました。今だから 言えるんですが、本心では冒頭で紹介した「勝ちたい内田、負けられない武豊」の後に「内田、ミツオー、負けるな!勝てー!」と発したい気持ちだったんですよ。

正一師:そうだったんですね。カネヒキリには、その前の3戦でいずれも先着を許していたので、「地方競馬で行われるホームコースでは絶対に勝つ」の意気込みだった筈です、親父も。果たして、堂々逃げ切って南関東の古馬GI完全制覇達成。親父は“やった、やった”とガッツポーズ、大喜びでした。

写真:アジュディミツオー 2006年 第29回 帝王賞 出典:netkeiba

ミツオーについては、主戦だった“ウチパク”こと内田博幸騎手にも電話で話していただきました。

「あの馬はライオンみたい。とにかくパワーが有り余ってるんです。こっちは溜めて逃げたくても、馬がガーッと行っちゃうんです。初めてコンビを組んだ頃はホント大変でしたが、段々とお互い良い塩梅になっていきました。2006年帝王賞の時はホームだし、地方競馬代表として“絶対に負けてなるか”の気持ちで乗りました。本当に彼からは色んなことを学びました。ドバイでも乗せてもらえたし。自分にとって彼は恩人ならぬ“恩馬”とも言える存在です」

写真:2022年現在のアジュディミツオー (21歳)

帝王賞での激戦を制して以降は何度か善戦するも勝ち星を挙げられず、新馬戦以来、鞍上に石崎隆之騎手を配した2009年の帝王賞では10着に敗退。その後調教中の怪我もあり、これがラストランとなりました。

11月18日の引退式では2006年のかしわ記念優勝時のゼッケン「2番」を身に着け、鞍上・内田騎手で登場したアジュディミツオー。第二の“馬生”へと送り出す大勢のファンの拍手大歓声は、なかなか止みませんでした。

2005年、2006年のNAR年度代表馬・アジュディミツオーは、今年21歳。希代の名馬は、今でも元気に北の大地で余生を送っているそうです。

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Writer

元実況アナウンサー 及川サトル

1959年岩手県出身。
大学卒業後の1983年、姫路競馬場で実況デビュー。
1989年東京に進出、2010年3月まで大井をはじめ各地の競馬場で幾多のレースを独特のアジのある実況で盛り上げた。トキメキを声に乗せて、がモットー。