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STORY. 3

名馬・アジュディミツオー

~瞬く間に天下を取った「逃げるガキ大将」~

文・及川 サトル
協力・川島 正一調教師

「ここから2段ロケット!アジュディミツオーが逃げる、外を通ってカネヒキリ。大歓声が沸き起こる!『勝ちたい内田、負けられない武豊』やはり両雄の対決になった。逃げるアジュディミツオー、アジュディミツオーが逃げ切ってゴールイーン!」

そうです、今回の主役はアジュディミツオー。南関東の古馬GⅠレース完全制覇も、東京大賞典連覇もこの馬が史上初めて。地方競馬所属馬で初めてドバイワールドカップにも出走した、船橋競馬が誇る名馬です。
思い起こせば、30年以上の競馬実況歴の中で数多くの名馬、ツワモノ達との出会いがありました。
及川サトル(筆者)にとって1番はアブクマポーロ、とはよく言われるんですが、ポーロと同じくらい私にインパクトを与え、創作意欲を掻き立たせてくれたのがこの度取り上げるアジュディミツオー、この馬です。

そこで今回は、手掛けた故・川島正行調教師の息子さんで、この馬と間近に接していた現調教師の川島正一さんにお話を伺いました。

写真:アジュディミツオー 2006年 第18回かしわ記念

正一師:“いい仔が産まれましたよ”と藤川ファームさんから一報が入り、親父と一緒に見に行きました。縁あって母親のオリミツキネンにアジュディケーティングを種付けしたのですが、四股をしっかり大地につけて踏ん張り、力強いオーラを発していました。後輩のフリオーソが“優等生”ならこっちは“ガキ大将”、ウチに来てからも、とにかくパワフルでした。

東京ダービーから夢のドバイへ

及川:さて、実戦ですが2003年9月JRA認定の新馬戦を勝って休養に入り、明くる年は3歳戦と東京湾カップを連勝。無敗で東京ダービーに駒を進めます。これはかなりの器だ、と感じたでしょう?

正一師:はい。ただ、ダービーでは5戦全勝のベルモントストームが相手。でも、逃げ切って勝つんですからね。親父の喜びようは半端じゃなかったです。

アジュディミツオー 主な勝鞍

2004年/3歳 東京ダービー(SⅠ)

佐藤 隆騎手 

      東京大賞典(GⅠ)

内田 博幸騎手

2005年/4歳 東京大賞典(GⅠ)

内田 博幸騎手

2006年/5歳 川崎記念(JpnⅠ)

内田 博幸騎手

      マイルグランプリ競走(SⅡ)

内田 博幸騎手

      かしわ記念(JpnⅠ)

内田 博幸騎手

      帝王賞(JpnⅠ)

内田 博幸騎手

通算戦績 27戦10勝 獲得賞金 590万円(中央) /5億7,820万円 (地方)

及川:その後の4戦は勝ちきれないまでも好勝負を演じ、二走前から手綱を取った内田博幸騎手と共に暮れの東京大賞典に挑みました。

正一師:タイムパラドックスやパーソナルラッシュらビッグネームを相手に見事逃げ切りました。親父はテーブルをバンバン叩いて「それ行け、我慢しろ、粘れ」って大声を張り上げていましたよ(笑)

及川:東京大賞典を勝ったことから、地方所属馬として初めて2005年のドバイワールドカップに招待され6着と大健闘。帰国後に日経ホールで行われたイベントでは私が司会進行、ドバイのレースを振り返り実況しましたが、満員の会場は大盛り上がり。
川島先生、内田騎手、そして特別ゲストの川村ひかるさんの笑顔が実に印象的でした。

写真:アジュディミツオー 2005年 第10回 ドバイワールドカップ 出典:KEIBA GO 2005年アーカイブ

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Writer

元実況アナウンサー 及川サトル

1959年岩手県出身。
大学卒業後の1983年、姫路競馬場で実況デビュー。
1989年東京に進出、2010年3月まで大井をはじめ各地の競馬場で幾多のレースを独特のアジのある実況で盛り上げた。トキメキを声に乗せて、がモットー。