2023.3.8

船橋ジョッキーズレポート
vol.7

スペシャルコンテンツ


濱田達也騎手

1988年12月16日生まれ、いて座
所属厩舎:騎手会
初騎乗年月:2007年5月
地方競馬生涯通算騎乗成績:1,985戦76勝 2着111回
服色呼称:胴青白ダイヤモンド、そで青

澤田龍哉騎手

1991年3月9日生まれ、うお座
所属厩舎:坂本昇
初騎乗年月:2008年5月
地方競馬生涯通算騎乗成績:4,854戦361勝 2着412回
服色呼称:青、白星散らし

※地方競馬生涯通算騎乗成績は、初騎乗〜2022年12月31日までの成績

インタビュアー:
元JRA騎手
ホースコラボレーター

細江 純子

1975年愛知県生まれ。高校卒業後JRA競馬学校に入学し、1996年JRA初の女性騎手としてデビュー。2000年日本人女性として初の海外勝利(シンガポール)を挙げ2001年に引退。引退後はホースコラボレーターとして、フジテレビ「みんなのKEIBA」関⻄テレビ「競⾺BEAT」などで活動中。

細江
船橋競馬所属の全ジョッキーが登場する「ジョッキーズレポート」の第7弾をお届けします。
今回は、濱田達也騎手と澤田龍哉騎手にお越しいただきました。
よろしくお願いいたします!
両騎手
よろしくお願いいたします。
細江
前回、濱田騎手は小杉騎手と木間塚騎手と一緒にお越しいただきましたけど、元々は今回お越しいただく予定だったそうですね。
濱田騎手
はい。開催中は忙しくなるので断ったんですけど、亮(小杉騎手)と龍馬(木間塚騎手)が出るから、一緒に出ちゃえば?って流れになって。
前回出たので終わりかと思ったら終わりじゃなかった(笑)
細江
2回目ですけど今回もよろしくお願いします(笑)
前回の収録では“来月入籍します”というお話でしたけど。
濱田騎手
結婚しました。
細江
おめでとうございます!どうですか新婚生活は?
濱田騎手
特に変わりはないですね。
細江
そうなんだ(笑)末永くお幸せに!
まずは、お互いを紹介し合う他己紹介をお願いします。濱田騎手からお願いします。
濱田騎手
今はもうないんですけど、「プロスパーホースマンアカデミー」という学校で知り合いました。年齢も近いですし、専門学校と競馬学校でも1期違いだったので一緒に過ごすことが多かったですね。
細江
直ぐに仲良くなれましたか?
澤田騎手
(濱田騎手は)面倒見が良くてわがままを聞いてくれるんですよ。
“ヘルメットのカバーつけて”とか言うと綺麗につけてくれたりとか(笑)
細江
可愛かった?
濱田騎手
そうですね。生意気な所もありますけど仲良くしてましたね。
競馬場に来てからも僕が所属したところに弟弟子で入ってきたこともあって。
澤田騎手
腐れ縁じゃないけど、ずっと一緒なんですよね。
細江
でも安心ですよね。初めて行く場所に知っている人がいるだけで。
乗馬のセンスだったり、10代の頃はお互いをどう見ていたんですか?
濱田騎手
休みの日に澤田さん(澤田騎手)が乗っている姿を見たんですけど、“力が無いんだな”って(笑)
澤田騎手
でも、そこの学校がなかったら多分今の自分はないと思います。
細江
どういう事?
澤田騎手
かなり鍛えられましたからね。とにかくハードトレーニング(笑)
どれだけ馬に落とされても何度も乗せられました。
休憩時間になると室内馬場で新品の寝藁の山みたいな塊が高く積まれていたんですけど、それをひたすら登らされて、筋力を付けたんです。
細江
かわいいね。でも野球やってたんでしょ?
澤田騎手
力がなかったからやめたんです。学校で肉体的にも精神的にも鍛えられましたね。
細江
そんなハードトレーニングでも諦めずにジョッキーになりたい想いが強かったんですね。
澤田騎手
そうですね。負けず嫌いだったのかもしれませんね。
本当は中学校を卒業している事が入学条件だったと思うんですけど、僕は平日と土曜の午前中は中学校へ通っていたので、他の人に追いつくために土曜の午後と日曜は死に物狂いで頑張りました。でも、疲れて日曜日の夜に寝過ごしてしまって、成田から横浜の方まで行っちゃったことがあって捜索願を出されたことがあったんですよ(笑)
細江
もうヘトヘトだったんでしょうね。
聞いたところでは、お父様が馬主だったということですけど。
澤田騎手
実は父親が馬主だっていうことはずっと知らなかったんです。
東京に住んでいて、小さい頃に牧場とかに連れて行ってくれた記憶はありますけど。
細江
そうなの!? お父様は何をなさっている方なの?
澤田騎手
土砂崩れとかをコンクリートで固めたりする会社に勤めていて、自宅に“競馬の本がたくさんあるな“くらいにしか思ってませんでしたね。
細江
お父様は競馬が好きだったんだね。
澤田騎手
そうみたいですね。親父が野球をやっていて、その影響で幼稚園から中学までずっと野球をやってました。でも体がすごく小さかったので苦労しました。
それから、将来のためにこの小さい体を生かして何かをしていきたいって考えるようになった時に初めて競馬を見せられたんです。
“これは体が小さいからこそできるスポーツなんだぞ”って親父に言われて。
そして興味を持つようになって、千葉のクレイン(乗馬クラブ)に行くことになりました。
細江
そこで川島騎手と知り合ったの?
澤田騎手
専門学校を卒業してから通った中山の乗馬クラブで正太郎(川島騎手)や笠野(笠野騎手)とは知り合いました。
細江
そして騎手としてデビューを迎えるわけですが、厩舎の配属はどんな流れで決まったんですか?
澤田騎手
僕自身は最初、園田へ行く予定になってたんですよ。
ただ、教育センターの入学式の時に父親に“船橋で受け入れてくれる人がいるから面倒見てもらいなさい”っていう話から船橋になったんです。
細江
きっと陰でお父様が動いてくれていたんでしょうね。
濱田騎手
僕はあまり詳しく聞いたことがないので分からないんですけど。 それで学校の色々な伝手から最終的に坂本先生のところにお世話になることになりました。はじめは、川島正行先生だったんですけど、“体重はこれくらいじゃないと入れられないよ”って言われて。でも僕はそこまで体重を落とせなかったんですよ。
それで、別で探そうかっていう流れから、川島先生の紹介で坂本先生にお願いすることになったんです。
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