2022.07.15
船橋ジョッキーズレポート
vol.2
スペシャルコンテンツ
- 柿本騎手
-
そうですね。
- 細江
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それでそのあとの進路を?
- 柿本騎手
-
進路はどうしようかっていう話から、「騎手をやってみる?」って言われたんです。
そして試験受けたら受かったので。
- 仲野騎手
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天才肌なんで!
- 柿本騎手
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何もしてないわけではないです。体力テストとかもあるわけだし。
だから、高校に通っていた三年間は筋トレや体力づくりはずっとやってました。
- 細江
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ご両親は賛成派でしたか?それとも反対派でしたか?
- 柿本騎手
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自分がどうしたいかだよって。
- 細江
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私も高校を出てから馬に乗るっていう流れだったんです。そうなると差が激しいですよね?
- 柿本騎手
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僕が入学した年は、他に三人が同じように高卒で入って来たんです。
そのうち一人は馬に乗った経験があったんですけど、他は僕も合わせてほぼ“素人”です。
- 細江
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私は“大”が付くほど落ちこぼれでしたけど、柿本騎手はいかがでした?
- 柿本騎手
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僕も落ちこぼれでした。
- 仲野騎手
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僕の時も乗馬未経験の子がいたんですよ。ただ両親がジョッキーでセンスが全然違いますね。
乗馬的センスではないものを持っていて、先生も僕も見てて、「こいつジョッキーとして才能あるな」って思っていて。
- 臼井騎手
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怜央さん?
- 仲野騎手
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そう、怜央(横川 怜央騎手・大井所属)。
乗馬をヘタにやってると染み付いちゃって、競走に移行したとき違いますよね。
- 細江
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それわかる!スピードを求めるのと、スピードをタイトにするのと逆ですもんね。
では、臼井騎手は?
- 臼井騎手
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僕も父親が競馬好きだったんです。
でもこれといった理由はなくて、競馬場に連れていってもらって、間近でレースを観て好きになりましたっていう感じです。
でも何かしらのスポーツ選手にはなりたい気持ちはありました。
ずっと野球をやっていたんですけど、この体じゃ無理だなぁってことに気づいて。
- 細江騎手
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中学時代?
- 臼井騎手
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小学6年生ですね。
- 細江
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ちなみにどこを守ってたの?
- 臼井騎手
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僕はライトでした。でも体の大きい子が多くて、この子たちには敵わないなって思いました。
野球は好きだったので、メジャーな部活しかなかった中学校ではとりあえず野球部に入部しました。
でも、なかなか体が大きくならなくて悩んでいた矢先、たまたま競馬のニュース記事を見て、これやってみようかなって親に言ったところ、“やってみなよ”ってことに。
中学3年から2回、中央を受けてダメだったんですけど、その後に地方競馬のテストを受けたら受かったんです。
- 細江
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高校を中退して?
- 臼井騎手
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1年だけ通って中退しました。
- 細江
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私も高校2年生の時に落ちて3年生で受かったから、なんか似てますね。
競馬学校では、沢山もがいたり悩んだりしたことでしょう。
Q.騎手になるまでのそれぞれの歩み
- 仲野騎手
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競馬の世界に入ると理想と現実のギャップが…
- 細江
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わかるーーー!!若手の子は感じると思う。
- 仲野騎手
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東京競馬場の乗馬センターも教養センターも洗練されてるんですよね。
競馬場って独特で、村という表現が合っているか分からないんですけど、そこに投げ出されたときに技術があったわけではなかったので、何をしていいのか分からなくなっちゃって、ストレスにもなりましたし、それが体重増加に繋がっちゃって…
- 細江
-
ストレスで結局食べちゃったりするんだよね。
- 仲野騎手
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モチベーション自体が上がってこなかったんで、卒業間近になっても、競馬場で馬に乗っていても、数ヶ月後にジョッキーになって大丈夫なのかなぁって漠然とした不安を抱いていました。まだ1 0代でしたし、自分を鼓舞する方法が見つからなかったですね。
- 細江
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でもそれだけ自分を客観的に見られていたんですね。
競馬の常識が世間の非常識っていう感じもあるし、人間関係もちょっと難しさがありますよね…
- 仲野騎手
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難しかったですね…今考えれば、それほど難しいことじゃなかったんですけど。
だけど当時はこの環境に慣れていいのかっていう自分に対しての葛藤があったんですよね。
だからその部分があまり良い方に出ていなくて。自分に技術があったり、何か武器があれば良かったんですけど、そういうのも一つもない状態で…
- 細江
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学校の先生はどういう反応でした?
- 仲野騎手
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こいつはもう無理だなって思われてたので、結構厳しかったですね。
- 細江
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そうなんですね。
- 仲野騎手
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苦しいしかなかったですね。変な追い詰められ方をしてましたね。
- 細江
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それで競馬学校を一度辞めたんですね。その後は何をされてたの?
- 仲野騎手
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派遣で勤めたり、ごみ処理場のバイトとか、短期の仕事を2、3ヶ月位してました。
それでまた芽生えてきたんですよね、これでいいのかなぁっていう気持ちが。
きっかけは、ごみ処理場の先輩方と話をしたら言われたんです。
「ジョッキーを目指して頑張ってきたことは素晴らしいことなんだよ。僕らはこのトラックを運転して楽しみと言えば1年に一回家族でハワイ旅行に行くだけ。そのために毎日働いてる。君はまだ20歳位で若いうちにそういう夢を持てたことは良い事だったんだよ」って。
- 細江
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グッとくるお話ですね…
- 仲野騎手
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そういう事も分からないまま辞めてしまったので。
騎手に憧れてるってことは刺激を求めているところもあったので、「このままで大丈夫かな、自分の人生これで良いのかな」と思った時に、一度面識のあった川島正行先生のところに手紙を書いてみたんです。
- 細江
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素敵。
- 仲野騎手
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そしたらすぐ来いって言われて、また船橋に行かせてもらうことになって、それから3年間
は調教助手みたいな手伝いをしていました。
- 細江
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すごいねぇ。その時に見えてくるものはありましたか?
- 仲野騎手
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そうですね。馬の質が高かったのでGI馬なども携わらせて頂きました。
入ってすぐにマグニフィカという馬に携わらせてもらったんですけど、その月にジャパンダートダービーに出走することになっていて帯同させてもらいました。そしたら勝ったんです!
ジャパンダートダービーを地方馬が勝つこともあるんだなって。他にもクラーベセクレタも自分が調教していたので、ジョッキーになる前にそういう馬の背中を感じとれたのは、すごく財産になりましたね。
- 細江
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そうね、いい出会いだったと思うし、やっぱり川島先生ってすごいですね。
- 仲野騎手
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結構、迷わないでスパッと決める方なので、その所作、動作とかも為になるというか、生きていく上で大事なことを学ばせてくれる方でしたね。
あの時、手紙を書いていなかったら今はないなと思います。
- 細江
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よくわかります。どうですか、そういう先輩を見て。
- 臼井騎手
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僕も一般家庭で育って、競馬なんて関係ない所から入って来た人間なので、入りは同じです。
この世界に飲み込まれないように、競馬場のルールが自分のルールにならないように。
その点はブレないようにいつも心がけています。
- 仲野騎手
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結局、競馬の世界に入って僕らが競馬の魅力を知らない人に伝えるってなった時に、僕らがそういう意識を持っていないといけないと思うんです。
- 細江
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すばらしい
- 仲野騎手
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それを伝える役目も僕らにはあるのかなって。
- 臼井騎手
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そもそもこの業界は、ジョッキーや馬が好きで入って来る人もいれば、お金が欲しいっていう人もいて、色んなところから入れるわけじゃないですか。
でもその中で、競馬とは無関係の世界から入って来たってことはやっぱり、多分にギャップはあるわけですよ。それをどうするかっていう話は(仲野騎手と)結構合うのかなぁって。
- 細江
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柿本騎手はお父様が調教師だったこともあって、どっぷり競馬社会の中で育ったわけですよね。
- 仲野騎手
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量平って競馬場にいなかったんだよな?
- 柿本騎手
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半々ですね。途中から家と厩舎をずっと行き来する生活していたんですよ。
学生時代はこの生活嫌だなって思っていました。
- 細江
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馬の社会の生活が?
- 柿本騎手
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そうじゃなくて移動が!(笑)
- 細江
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話の論点が違うんですけど、面白すぎるー(笑)