STORY. 4

船橋が生んだ名手ヒストリー

文・春木 宏夫


協力・元船橋所属騎手 桑島 孝春/元船橋所属騎手 石崎 隆之/森 泰斗騎手

強い船橋――。船橋から多くの優駿が各地の砂上を力強く駆け抜けてきたが、同時に数々の名手も輩出してきた。今回は、船橋が生んだ名手の物語を紹介する。

船橋名手ヒストリー1 桑島 孝春

 地方競馬の歴史的な快挙を演じた一戦だった。いや、そればかりではない。日本の競馬史にも大きな一ページを刻み、多くのファンの胸に、その人馬の雄姿を焼き付けたと言っても過言ではない。
 それは1985年のジャパンカップ。船橋から参戦した桑島孝春騎手とロッキータイガーのコンビが堂々と2着。“皇帝”と言われて、単勝2.0倍の人気に応えたシンボリルドルフにこそ及ばなかったが、日本だけでなく海外からの強豪を相手に互角以上の走り。日本で最初に誕生した国際レースで、地方馬が初めて表彰台に上がった。大きな出来事だった。

 「(ジャパンカップに)行けるのは名誉ですからね。当時、中山にオールカマーなどでよく行ってたんだけど、いつものように馬を邪魔しないで丁寧に乗ることだよな、と思っていた。それで、ルドルフの後ろからずいぶん差を詰めたけど…。でも、勝たないで良かったかな(笑い)。勝つなんて大それたことしなくて良かった(笑い)。2着でも十分過ぎです」と桑島さん。「この1頭だけで、十分過ぎるくらいの経験をしましたよ」とも付け加えた。

 世界的な偉業を成し遂げた桑島さんだが、こればかりではなく指折りの実績の持ち主だ。1971年にデビューして、2010年の引退まで、地方競馬通算4713勝。現在でも南関東4位の記録で、南関東のリーディングにも輝いた。その中には1993年、プレザントで勝った東京ダービーも含まれている。「自厩舎の馬で勝ったんですけど、みんなで頑張った。厩舎に貢献もした感じで、何とも言えない…。心から感謝したし、うれしかったですね」としみじみと語った。

 それらの勲章は毎日、毎日をコツコツと働いたごほうびなのだろう。桑島さんは、現役時代をこう振り返る。「誰よりも一生懸命に仕事をしたと思う。緩めなかった。乗せてくれるから一生懸命にやらないといけないから」。レースはほかに騎乗者がいるから休むことができても、調教だけは自分がつけないとならない。そんな責任感、使命感を持って取り組んできたのだ。「全く悔いはない。馬を知らないで北海道から出てきて、リーディングも取れたしダービーも勝てた。良すぎるくらいですよ」。現在は地方競馬全国協会の非常勤参与で後進の指導に携わる。「教え子がうまくいってくれればいいですね」。真っすぐな競馬人としての人生はまだまだ続く。

写真:ロッキータイガーと桑島騎手

船橋名手ヒストリー2 石崎 隆之

そんな桑島さんが「女房よりも一緒にいる時間が長かった」というのが1歳下の後輩騎手だった石崎隆之さんだ。デビューは1973年。「石アニイ」の愛称で関係者から親しまれ、厚い信頼を得ていた。2019年の引退までの47年間で、数々の輝かしい記録を打ち立てた。鮮やかな手綱さばきは職人芸とも思えるような、日本を代表する名手だった。

 通算勝ち星は地方競馬通算6269勝。史上3位のすごさ。重賞勝ちも189を数える。さらに1994年にはJRAのワールドスーパージョッキーズシリーズ(WSJS=現ワールドオールスタージョッキーズ)を優勝するほか、JRAでも74勝を挙げるなど、輝かしい足跡を残した。「(WSJSは)いい思い出。ありがたい話ですよ。みんな上手な人ばかり。外国人騎手も入り、シビアなレースでした。たまたま馬運が良かったんですよ」と謙遜するが、確かな技術があればこそなのだ。

 生家は農業を営んでいたため、小さい頃から農耕馬に乗るのが遊びのひとつだったという。そして、「騎手になってみないか」と勧められて、「何もわからないで出てきた」と振り返る。しばらくは目立った成績は挙げられなかったが、結婚を機に急上昇。1985年から23年連続で3ケタ勝利を挙げ、2001年には414勝という考えられないほどの数字を残した。「世帯を持って『頑張らなきゃ』という意識が出ましたよね。それに、いい馬に乗せてもらって、責任感もより強く出た。しっかり乗らなくてはいけないし、どうやって乗ったら勝てるかを考えましたよ」と当時をなつかしむ。

 「強い馬にいっぱい乗せてもらった」という中、思い出の一頭にアブクマポーロを挙げた。ウインターSでJRAの強豪を相手に、強烈な末脚で飾った。「西日がまぶしくて怖い思いをしたのが頭に残っていますが、相当にいい脚を使った。気持ちのいい勝ち方でしたね」と石崎さん。後方一気の豪快な走りは、いまでもはっきりと脳裏に焼き付いているようだ。

 47年に及ぶ騎手生活は、馬との付き合いがすべて。自ら積極的に調教をつけ、一時期は平日に地方で騎乗し、土、日曜日はJRAに騎乗することも続いた。そんな週末でも、攻め馬に乗ってから中山に行くことがしばしば。「相当、攻め馬をしました。けがをしても休むことがなかった。任されていたし、全休日でも攻め馬をつけるのは日常茶飯事でした。除夜の鐘を何年も聞いたことがなかったですね」。翌朝に備えて大みそかであっても体を休めることを忘れなかったわけだ。そんな騎手人生。「船橋で良かったんじゃないかな」。その穏やかな表情は騎手人生を完璧にこなした満足感が漂っていた。

写真:アブクマポーロと石崎騎手

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Writer

春木宏夫(はるき ひろお) 報知新聞社

春木宏夫(はるき ひろお) 報知新聞社

JRAと南関東競馬の両方で本紙担当をした二刀流。予想(馬券)は本命党でも穴党でもなく、すべて当てたいと思っている。