職人たちの馬づくり

では、厩舎関係者はどういう時間を過ごしていたのでしょう。「昔は今の何倍も仕事がありました。今はチップも使っているけど、当時は全部寝藁だったので作業にも時間がかかりましたね。 外灯も無いから朝は暗い中での仕事。昔は職人気質の人が多かった。今のように手軽に道具を揃えられないから、自分の手に馴染むように作っていました」(岡林調教師)。育成場が普及しはじめたのは1980年代後半で、 それ以前は人を乗せることを知らない若駒たちの入厩が当たり前。内馬場の放牧地や角馬場で馴致をしたという話からも、当時の馬づくりの多忙さが伺えます。



競馬場なのに、オートレース発祥の地!?

船橋競馬場といえば、オートレース発祥の地という歴史も持っています。オートレース場としての機能は競馬と同じ1950年から。「オートレースは厩舎側からみんなで観ていましたね。車庫は今の管理棟付近。 馬場からコースへは板を渡していました」と岡林調教師。当時を知る厩舎関係者からは、黒い煙が噴き上げ、時にはタイヤが吹き飛ぶこともあったというダイナミックなエピソードも。 1968年に船橋サーキット跡地へ移転するまでその不思議な共存関係は続きました。デリケートな競走馬が暮らす場所にオートレース場があったとは、今ではとても信じ難いことです。



写真:オートレース発祥の地モニュメント




写真:当時のオートレース写真 当初は船橋競馬場内の内馬場ダートコースで行われていた




写真:現在の船橋競馬場

     
    
   
     

阿井 正雄


調教師

     
      
      
       

オートレース場があったのは小学校低学年の頃でよく見ていました。音もすごかった。

      
      
       
    
   
     

凾館 一昭


調教師

     
      
      
       

子供の頃は、場内で遊んで、よく場長に叱られて追い掛け回されました。オートレース場のエンジンをメンテナンスする場所が面白くて、よく覗きに行きましたね。

      
      
       
      

写真: 1966年ごろの航空写真 黒く見えるのがオートレースのコース 出典:国土地理院ウェブサイト




世界初 競走馬の温泉療養所

場内にはもうひとつ「初」となる施設がありました。それは1959年に開設された世界初の競走馬温泉療養所です。「場所はららぽーとの向かい側、馬運車の駐車場辺り。 『お湯を入れ替えたから入っていいぞ』なんて言われて、みんなで遊びに行きました」(岡林調教師)。競走馬のリハビリテーションのためのこの施設はシャワー付きの浴槽の他、心電図やレントゲン等の医療機器を備えた本格的なもの。 中央競馬からも療養馬が訪れる賑わいを見せていましたが、日本各地で工業用水の汲み上げによる地盤沈下が社会問題となり、その影響を受けて1972年に閉鎖となりました。

写真:世界初の競走馬温泉療養所

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Writer

ライター・フォトグラファー 阿部典子

2006年から船橋競馬場での取材をスタート。厩舎公式サイトをはじめ、コラムや写真で船橋競馬場の魅力を発信中。カメラ片手にレースや厩舎風景など様々な表情を撮り続けて船橋競馬場歴16年。満を持してお届けします!