STORY. 1

「船橋競馬場の歴史」

文・阿部典子


協力・岡林 光浩 調教師/齊藤 敏 調教師/川島 正一 調教師/林 正人 調教師/阿井 正雄調教師/凾館 一昭 調教師/
矢野 義幸 調教師/佐々木 功 調教師/




受け継がれて来たスピリットを訪ねて

船橋競馬場が柏競馬場から人馬の歴史を受け継ぎ、この地で開場したのは1950年8月21日。それから約70年が過ぎ、現在、船橋競馬場では大規模リニューアル工事が進行しています。旧スタンドは今年7月に全て取り壊され、記憶の中にその姿を留めるばかり。思い出が刻まれた場所が形を変えるのは少し寂しい気もしますが、次の時代に進むためには必要なこと。ここからは船橋競馬場の歴史を辿りながら、受け継がれて来たスピリットを追っていくことにしましょう。過去を知ることで、生まれ変わる船橋競馬場に、より一層の愛着を持っていただければ幸いです。



目の前が海だった船橋競馬場



写真:1958年の航空写真 出典:国土地理院ウェブサイト




写真:現在の船橋競馬場

手元に古い写真があります。撮影されたのは1958年、第2コーナーの目前に迫る海が印象的です。この写真を手に「懐かしいね」と頷いたのは、1955年生まれ、この地で育ち、多くの活躍馬を手掛けて来た岡林光浩調教師。父で調教師だった喜和さんのもと、厩務員を経て1988年に開業。これまで帝王賞をはじめ数々の重賞を制覇。JRAにも積極的に参戦し、2002年にはヒミツヘイキでダート重賞ユニコーンステークス(GIII)を制しました。


日本ダービー(当時 東京優駿大競走)の初代優勝騎手・函館孫作氏を祖父に持つ函館一昭調教師も「海岸調教もしていたし、海水で馬の脚を冷やしたりもしていたんですよ」と今では想像もつかないエピソードを懐かしそうに教えてくれました。埋め立てが進む60年代までは普通のことだったそうで、船橋競馬にとっていかに海が身近な存在だったかが伺えます。

     
    
   
     

齊藤 敏


調教師

     
      
      
       

この地で育ったので、船橋競馬場という場所への思いは強いですね。幼少時から馬と一緒に生活して来ました。湾岸道路の向こうは埋立地で、3歳から5歳くらいの頃(1963〜65年)には浮き輪を使って海辺で水遊びしたこともありましたよ。

      
      
       
      

馬場も通学路だった

当時の厩舎での暮らしはどうだったのでしょう。小学生時代の様子について岡林調教師に尋ねると予想外の答えが。「通学は馬場を歩いて横切っていました。今では考えられないだろうけど、開催の時にはレース中は待っていて、そのひとレースが終わると『入っていいよ』と言われて横断する。競馬場からは田んぼの中の一本道。道幅は車が1台通れるくらいだったかな」。調べてみると、船橋競馬場駅方面へと向かうこの道は、現存していることが判明。過去のエピソードを知ると、1本の道も船橋競馬場ゆかりの場所に思えてきます。 この地で育った厩舎関係者も多く、「場内でローラースケートをして遊んだかな」「スタンドで夏祭り、馬場では運動会もやりましたよ」など、古き良き時代の話は尽きません。

写真:「馬場を横断して通学」のイメージ(2015年 撮影:阿部典子)

     
    
   
     

川島 正一


調教師

     
      
      
       

今、馬場の池がある場所は放牧地でした。向こう正面には海と繋がっている水路があってハゼやウナギも釣りました。開催していない時の競馬場は子供時代の遊び場。鬼ごっこしたり、かくれんぼしたり。

      
      
       
     
    
   
     

林 正人


調教師

     
      
      
       

競馬場内には今よりもっとたくさんの人が住んでいて、ひとつの街のようでした。

      
      
       
      
   

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Writer

ライター・フォトグラファー 阿部典子

2006年から船橋競馬場での取材をスタート。厩舎公式サイトをはじめ、コラムや写真で船橋競馬場の魅力を発信中。カメラ片手にレースや厩舎風景など様々な表情を撮り続けて船橋競馬場歴16年。満を持してお届けします!